能楽師O先生を訪ねる。これで5回目のお稽古である。能楽堂の裏口から入り、稽古部屋へ行く。初回からずっと敦盛のキリという仕舞をやっているが、これは今年の夏ブルームズバーグの能ワークショップで一度舞ったものを、今月30日の会に向けて練習している。 さすがにプロの能楽師と一対一で習うのは緊張する。毎回新しい発見があり、能の深さと濃さを再認識する。前回は、舞の位置づけがいかに正確なものかを教わった。型はもちろん、どの位置にどういう角度で行くか、柱に向かって、観客に向かってどういう角度で立つかは、見え方や舞台上の他の要素との関係性で、全て決まっている。能役者は2間(3m60cm)の正方形の中で極めて正確に拍子を踏み、舞を舞う。この制約が、「人間わざ」を超越させる。そんな狭い空間の中でしか動いていないのに、時を超え、空間を超えたところに存在し得る。
O先生によると、「うまくいっている」と思った時には「側面的」になってしまい、必ずうまくいっていないという。一番うまく行くのは、「あー今日はちょっとうまくいかなかったなー」と思った時だそうだ。そういう時の方がお客さんは感動する。これもおもしろい。制約は機械のようなパーフェクトさを舞台に載せる為にあるのではなく、「可能であり不可能」の前に人間を立たせる為にある。極めて正確であり、極めて曖昧なところに居続けなければならない危うさ。そこでは、「自分」や「自分の気持ち」を直視し、かつ、執着せず、流れに身を任せることが要求される。
先生は最後に、「月をこころで見る」と仰った。「だから、能面をつけると余り見えないのがいい。目でなくこころで見るのだから。それが観客に伝わり、彼らも又、月を見るんです。」